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プロファイル |
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〜注釈〜
(1) Bon Voyage!:フランス語で「良い旅を!」の意味。霊的巡礼の旅路を行く相手への挨拶と祝福の言葉。ぼくがこの挨拶を最初にもらったのは、めるくまーる社の方からの親切なお手紙からであった。
(2) メルセス会:正式名称はベリス・メルセス宣教修道女会。母体は聖ペドロ・ノラスコがレコンキスタ(国土回復戦争)の只中のスペイン・バルセロナで1218年に創立したメルセス修道会。当初は北アフリカで奴隷となっていた人々を、修道士が身代わりになって解放することを目的としていた。メルセス修道会を起源とする「メルセス会系ファミリー」の団体は無数に存在する。そのひとつであるベリス・メルセス宣教修道女会は20世紀前半に設立され、世界で教育事業と社会福祉事業を運営し、日本でも短大・小中高・幼稚園の経営や、ホームレス支援活動、環境保護運動を進めている。
(3) X世代:1965年から1980年の間に誕生した世代への呼称。ジェネレーション・エックスとも言う。特徴としては、既成の組織や団体に対して懐疑的。納得しないうちは絶対に献身はしない。しかし、スピリチュアルなものへの関心は持っているため、結果として非組織的なスピリチュアリティーに向かって行く傾向がある。
(4) 近所の毛沢東語録が山のように積まれた書店:高円寺南口商店街の湘南堂書店のこと。残念なことに、2003年をもって廃業。跡地は薬局になるらしい。
(5) バグワン・シュリ・ラジニーシ:インドの哲学教授。バグワンとは「祝福されし者」という悟りを開いた人への尊称。晩年はオショー(和尚)と名乗った。1960年代に学園都市プーナにアシュラムを開設。西欧からの巡礼者に各種メディテーションの指導を行った。米国にラジニーシダム(ラジニーシ王国)を建設しようとしたが、麻薬取引の嫌疑で各国政府に入国を拒否され、インドで病没。
(6) 工作舎:フリチョフ・カプラーなどニューサイエンス系の翻訳書を1970年代末から日本で先駆けて出していた、松岡正剛氏率いる出版社。工作舎のHPでは現在、なつかしい『遊』や『プラネタリー・ブックス』のバックナンバーのラストセールが行われている。在庫僅少だとのこと。雑誌『遊』は編集のあらゆるスタイルを試みるという実験的な雑誌で、「編集工学」という新しい概念を提唱した。
(7) ほびっと村:1970年代カウンターカルチャーの東京における拠点的存在。ほびっと村とはもちろん、トールキンの『指輪物語』に登場する村から付けられた名前。一階は無農薬野菜の八百屋、二階は自然食レストラン、三階はプラサード書店と、ヨガ・太極拳・自然分娩など、カウンターカルチャーの「カルチャースクール」になっていた。
(8) ダイナミック・メディテーション:ラジニーシは各種のメディテーション手法を開発し、ダルシャン(弟子との個人面談)において、どのメソッドが合っているかひとりひとりに「処方箋」を与えた。ダイナミック・メディテーションは激しい運動によって酸素の不足状態を人為的に作り、ヒマラヤで瞑想するリシ(仙人)と同じ環境に至ろうとする「筋肉労働系」「エアロビ系」の瞑想法。
(9) スーフィー・メディテーション:イスラム神秘主義スーフィー教団では、トランス状態に入ってアラー神と接触する目的で、回転舞踏を行った。現在もトルコやエジプトに舞踏教団が存在し、独特な帽子とスカートの衣装を着た男性たちによる回転舞踏を見ることが出来る。
(10) ルドルフ・シュタイナー:ドイツの神秘主義哲学者。オカルト結社「神智学会」においてブラヴァツキー夫人の同志であったが、ブラヴァツキー夫人の山師的性格に幻滅。分離独立して「人智学会」を設立。スイスに「新人類」を養育する教育施設ゲーテアーヌムを建設した。その超越論的人間論に基づく独特な教育理論は、シュタイナー教育として知られている。
(11) ブラヴァツキー夫人:西洋秘教の系譜を追及したオカルト学の総本家・家元的存在。インドに根拠地を置き、交霊術や霊視の公開実験を行っていたが、トリックを使っていたことが暴露された。ブラヴァツキー夫人の死後、神智学会はインド人少年クリシュナムルティをマイトレーヤ(再臨主)として認定。少年を崇拝する「東星教団」を設立した。しかし当のクリシュナムルティは1926年に教団を解散し、神秘主義哲学者として生きて、マハトマ・ガンジーなどに影響を与えた。
(12) G.I.グルジェフ:ロシアの神秘思想家。ヨガをヒントに、舞踏芸術や体操などによって人間の身体を訓練し活性化させて「覚醒」に至ろうとした。分裂した魂と身体という二元論的状況を、身体性の復権によって克服しようとした「身体論者」「アングラ舞踏団」の元祖的存在。
(13) ビリー・グラハム:米国のバプテストの伝統に立つ大衆伝道者。ホイートン大学で神学を修め、第二次大戦直後のロサンゼルスで天幕伝道(大型テントを張り、ラジオで宣伝し、大人数を集めて行う大挙伝道)を実施し、多くの回心者を挙げた。この形式の伝道は「クルセード方式」と呼ばれるようになり、全米各地の野球場や巨大広場を会場とする「ビリーグラハム・クルセード」として展開。世界各地でも行われた。1975年に韓国ソウルのヨイド広場で行われたクルセードには100万人が集まり、大リバイバルの発火点となった。ちなみに、ロサンゼルスで行った最初の集会に使用したテントは、救世軍から貸与されたもの。
(14) めるくまーる社:1970年代からラジニーシの講和集を精力的に出版し続けていた、カウンターカルチャー系の出版社。1980年代は、環境保護・反核・市民運動の草思社、スピリチュアル系・秘教系のめるくまーる社、ニューサイエンスの工作舎が、カウンターカルチャーの三つの領域を分担していた。
(15) 救世軍杉並小隊の日曜礼拝:救世軍はロンドンの貧民街で1865年にウイリアム・ブースによって創設されたキリスト教会。伝道事業と社会福祉事業を不可分一体と考える独自の神学を持ち、現在世界で教会と共に9000か所近くの社会福祉施設、医療施設、教育施設、農業施設を運営している。19世紀末の労働者階級に対して迅速な伝道を展開する必要から、軍隊組織が採用され、教会は「小隊」、牧師は「士官」、信徒は「兵士」、洗礼は「入隊式」、路傍伝道は「野戦」など、軍隊用語が用いられている。救世軍杉並小隊の周辺には、救世軍の病院、児童養護施設、婦人保護施設、アルコール依存症更生施設、バザー場がある。
(16) 日本基督教団高円寺東教会:無教会の系譜におられた小西芳之助氏が定年退職後に牧師となり、「自分の代で終わること」を条件に設立された教会。小西氏が戦前の旧制一高(現東大)OBであったことから、東大関係の人脈を通して人々が集まり、本当に東大卒ばかりが集まっていたユニークな教会。小西氏の没後に教会堂は取り壊され、氏の礼拝説教テープを聴く例会がしばらく続けられていた。氏は仏教、特に親鸞への造詣が深く、キリスト教の仏教的表現を試みておられた。
(17) キリスト教ラジオ放送FEBC:日本国内でプロテスタント各派の協力で番組が制作され、電波は韓国済州島から周波数1566kHzで発信しているキリスト教専門局。毎日夜9時30分から10時45分まで放送。短波ラジオを聴いてベリカードを集めるという、BCL全盛時代に効果を発揮した伝道方法。FEBCは中波だが、同じ番組内容が南米の短波局「アンデスの声」でも使用されていた。
(18) 神と悪魔とは同一なのであって、同じコインの裏表にすぎない:ラジニーシの講和録の中によく出てくる表現。Deus(神)とDevil(悪魔)は、サンスクリット語の同じ語根から派生した単語だというのが論拠。永遠不変の真理存在(神)の実在を信じない仏教の無記の考え方からすると、神も悪魔もないということになる。神が「悟りの体験」だとするなら、悪魔は、禅の修業で陥る「魔道」(ダークサイド)ということになり、「同じコインの裏表」の関係になる。絶対的超越者の実在を信じない東洋思想の論理的帰結である。
(19) ガネーシャの像も、シヴァやクリシュナやシャクティのポスター:シヴァはインドの破壊神、シャクティはその妻で、ガネーシャは象頭人身のシヴァ神の従者。ガネーシャはオウム真理教の「ガネーシャ帽」で一躍有名になったが、実は日本では浅草寺や京都の東寺などで古くから象頭人身の秘仏(歓喜天)として祭られて来たものである。これらの像やポスターはすべて、高円寺駅ガード下「仲屋むげん堂本陣」または吉祥寺コスモビル内「はるばる屋」にて購入したものであった。このほか香炉やチベットの経車(経文が入っていてクルクル回転させる道具。真鍮及び人骨で出来ていた!)なども所持していた。1980年前後の中央線沿線では、こうしたインド・ネパール系雑貨店が出現し、中野から吉祥寺に至る独特な文化的雰囲気を作り出していた。後に『中央線の呪い』と題する本で「中野以西は日本のインドである」と称されたゆえんである。なお、西荻窪「ほびっと村」がヨガや各種セラピー、メディテーションなど、スピリチュアルな運動を重視していたのに対し、「むげん堂」「はるばる屋」は単にビジネスとしてグッズを売るだけの純粋な商売路線であった。1990年代までに中央線沿線ではインド系神様グッズが学生層・フリーター層の日常シーンに浸透していたので、あのオウム真理教が杉並・中野を中心に布教を展開しようとしたのは、そうした文化的下地が出来ていたからだとも言える。オウム真理教のテロ以降、インド系神様グッズの需要は大きく減ったかと思われるかもしれないが、そんなこともないようだ。やはり出自が高円寺文化圏のYMO(イエローマジック・オーケストラ)からテクノポップを継承したレイヴミュージック(トランス音楽)が、ファッションとしてのインド系神様グッズと融合し、現在「ゴア・トランス」なるジャンルとして確立されている。これに対抗して、ユーースチャーチを展開する若いクリスチャンたちの中には「シヴァ神をしばくっ!」と題して、新たなキリスト・トランス系クラブイベントを企画している者もいる。
(20) ミュージカル:救世軍では伝道のためにミュージカルを用いる。参加したミュージカルとしては、A兄オリジナル作品のイースター劇「エルサレムへ行こう」、ジョン・ゴワンズ及びジョン・ラーソンのコンビによる「スピリット」、救世軍外の作品「ウィットネス」がある。多数のミュージカル作品を書いたジョン・ゴワンズとジョン・ラーソンは、その後いずれも救世軍の最高指導者である大将に就任した。日本での上演作品は上記のほかに「小羊の血」「ホセア」「グローリー」がある。未演作品は「ジーザス・フォーク」「サン・オブ・マン」「マン・マークII」など。
(21) 飲み屋街での伝道新聞の販売:救世軍の機関紙『ときのこえ』を携えて夜の飲み屋を一軒一軒訪ねて販売する伝道方法を「夜襲」と言う。私が経験したのは新橋、前橋、名古屋、高知、桐生など。某町で「夜襲」を実施した時には、元クリスチャン、元救世軍の軍曹だった紳士、日曜学校に行っていたというスナックのママ、元修道女、カトリック信徒のママ、市長さんなど、さまざまな方々とお会いした。
(22) 士官学校:救世軍の牧師を養成する二年間の寄宿制の神学校。救世軍兵士(信徒)として最低一年間活動し、士官志願の審査にパスすることが、「候補生」(神学生)として入校するための条件。教室での神学科目の授業の他に、伝道活動や奉仕活動、募金活動など、相当な時間数の実地訓練がある。候補生には年次ごとに学年名があり、私の場合は「イエスの証人」の学年であった。
(23) 救世軍士官:二年間の士官学校での訓練を終えると、士官(牧師)に任官され、士官としての階級と任命地が与えられる。階級は、大尉・少佐・大佐補・大佐・中将・大将などがある。任命地には、伝道部門である小隊(教会)、社会福祉部門である各種施設、医療部門である病院がある。任命地については、本人の希望は反映されず、上層部の判断によって一方的に決定され、士官はこれに対して全面的に従うことが、士官の誓約書で求められている。士官には生活手当として単身者には月額10万円程度、既婚者は夫婦合わせて月額18万円程度が支給される。住宅・家具備品・光熱水費については士官宅に住むことを条件に保障されるので、その程度の手当でも十分生活することが可能である。
(24) ピーター・ワグナー:アルゼンチンで宣教師として奉仕した後、ロサンゼルスのフラー神学校で宣教学の教鞭を取る。最初、異文化間伝道と教会成長を教えていたが、第三世界の伝道においては奇跡が伝道の突破口(ブレークスルー)となって、しばしば住民の大規模なキリスト教への回心が発生することから、「宣教と奇跡」について研究。ヴィンヤード・クリスチャン・フェローシップのリーダーで「力の伝道」の主唱者であったジョン・ウィンバーと共同研究し、その理論を『聖霊の第三の波』としてまとめた。
(25) カリスマ刷新運動:ホーリネス派を母体として、異言を語ることを強調するペンテコステ派が20世紀初頭に誕生した。そのペンテコステ派の影響が、1950年代末から、メインライン(主流教会)の一部に及び、メインラインに属しながらも異言を重視する立場の人々を「カリスマ刷新運動」と呼んで、従来の古典的ペンテコステ派と区別した。ペンテコステ派がホーリネス派と同様に、第二の転機としての聖潔や禁酒・禁煙・禁ギャンブル・服装規定を重要視したのに対して、メインラインのカリスマ派は、それほど重視しない。メインラインには、カトリック、聖公会、ルーテル、改革派、長老派、会衆派、メソジストなどがある。
(26) デニス・ベネット師:米国聖公会の司祭。ロサンゼルスの聖マルコ教会の牧師であったときに、聖霊のバプテスマと異言を体験し、聖餐式の説教のなかでその事実を会衆に語ったために、マスコミを巻き込んだ騒動となった。このため聖マルコ教会を辞して、ワシントン州シアトルの聖ルカ教会に赴任した結果、閉鎖寸前であった教会が、カリスマ刷新運動の大きなセンターとなり、その影響は近隣のカトリック、ルーテル、改革派、長老派、メソジスト、会衆派の諸教会に及んだ。こうして、カリスマ刷新運動は、1960年代から、教派の壁を越えた全世界的なうねりとして発展して行くことになった。
(27) スピリチュアル・ジャーニー:1990年代後半から、キリスト教界では「霊性」(Spirituality)と「霊的成熟」(maturity)が大変重視されるようになり、人生とは成熟へと至る「霊的形成」(Spiritual Formation)のプロセスであり、「霊的巡礼の旅」(Spiritual Journey)であるという捉え方がされるようになって来た。 詳細については、PDF文書『霊的形成について』をお読みいただきたい。 |
スピリチュアルジャーニーの途上にあるすべての兄弟姉妹に挨拶を送ります。Bon Voyage! (1) あなたに真理との出会いがありますように。ここでは、私の魂の遍歴をご紹介します。
- 幼稚園でイエスキリストに出会う - カトリックのメルセス会 (2) が経営するK─E─幼稚園で、クルスを切って祈ることを教えられた。でもさすが幼稚園児だけあって、チチトコトセイレイノミナミニヨリテアーメン、と唱えていた。果たして聖霊の「南」に何があるのだろう???と幼心に不思議に思っていた・・・。 シスターや神父様から、いつもヨセフ、マリア、イエズスのことを聞かされていた。イエズス様の家は貧しくて、ドアが無く、代わりに布切れがぶら下げてあったこと・・・ヨセフは本当の父親ではなくて、天の父なる神様が、イエズス様のお父さんだということ・・・むごたらしい十字架の死を遂げて、三日目に復活したこと・・・キリスト教の初歩の初歩を教えられた。
- 小学校で無神論者に会い驚く - 黄色い帽子をかぶった小学校一年生の下校時に、クラスメートから「イエス様なんて本当はいなかったんだよ。全部作り話だよ。おまえイエス様なんて信じてるのか」と言われ、ショックを受けた。シスターは確かにイエスが実在の人だと教えてくれたのに??? 小学一年生の無神論者との遭遇である。 その後は、小学生のお決まりのメニューをこなして行った──恐怖の心霊写真集、怪奇伝説ドラキュラ、スペイン山中秘密結社のギロチン拷問屋敷、空飛ぶ円盤UFO、テレポーション、テレキネシス、テレパシー、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ、火星シリーズ、怪盗ルパンシリーズ、日本沈没、ノストラダムスの大予言──などなどである。
- オカルト少年となる - 1965年以降誕生したいわゆるX世代(GenerationX)(3) は、オカルト的なものに対する違和感が何も無い。ポップカルチャーとしてのオカルトはすでに前の世代によって確立済みであり、私などの世代はもはやひたすら消費するだけの側になっていた。霊的なものに興味を持つ子どもたちには、興味の度合いに応じてすでに一通りのコースが用意されていた、という感じがする。 私の場合、小学校六年生あたりから、岩波文庫のダンマパダ、スッタニパータを読んだのを手始めに、大乗経典の現代語訳(維摩経、勝曼経、法華経、般若心経、浄土三部経、理趣経などなど)を読みふけり、同時並行してタロットカードや薔薇十字団、フリーメーソンに錬金術、地球空洞説にシャングリラ伝説をほっつき歩き、ついにはタントラ仏教まで行った。 そのあたりで、近所の毛沢東語録が山のように積まれた書店(4)で、インドのグル、バグワン・シュリ・ラジニーシ (5) の本と出会う。彼はその後、オショー・ラジニーシと名前を変えて、すでに故人となっているが、その頃は、欧米の弁護士、医師、俳優、大学教授、デザイナー、アーティストなどのお金持ちたちに熱狂的に支持されたグルであった。 中学時代は、そのラジニーシの講演録を翻訳出版している「めるくまーる社」の本を読むことと・・・ジャパネスクという言葉を発明した松岡正剛氏の工作舎 (6) が出していた『遊』という雑誌を読むこと・・・そして、これも今は無きSF雑誌『スターログ』を読むことが、非常な楽しみであった。お小遣いのすべてをそれらにつぎ込んでいた。高円寺から自転車でカウンターカルチャーのメッカ、西荻窪のほびっと村 (7) 三階にあるプラサード書店に買い物に行くのが、何よりも楽しかった。
- 白いロールスロイス - 家では日曜ともなると、四畳半にカーテンを引き、ろうそくに火をつけ、ラジニーシ監修の音楽テープを聞きながら、ダイナミックメディテーション (8) とか、スーフィーメディテーション (9) とかのまねごとをしていた・・・そういうオカルト少年だったのだが・・・そのまま行けば、オカルト世界にさらに深入りして行ったかもしれない。次のステップとして、ルドルフ・シュタイナー (10)、ブラヴァツキー夫人 (11)、G.I.グルジェフ (12) を経て、アレスター・クローリーの性魔術まで、ほんのひと飛びだった。その先は黒魔術、悪魔礼拝が待ち構えている。 なぜかそうはならずに、クリスチャンになってしまった。 原因は、いろいろあるのだが、まず、ラジニーシは白いロールスロイスを15台も持っていて、さらに同じものをもう1台、彼の弟子たちがプレゼントしたという記事を『朝日新聞』で見て、ひじょうにがっかりしたこと。 最大の理由は、おじ夫婦につれられて弟や従兄弟と一緒にビリー・グラハム (13) の伝道集会に行ったこと。中学三年の秋のことだ。
- 後楽園球場の人工芝 - ビリー・グラハム師はアメリカの伝道者で、米国人が尊敬する人物アンケートでは常に全米一位を占めている人物。日本でも、いつも合衆国大統領就任式で祈祷をささげる牧師、として知られている。このグラハム師が1980年に後楽園球場で大伝道集会を開いたのだ。東京の福音主義のキリスト教諸教会、諸教派が連帯して運営にあたっていた。 約1時間半にもおよぶ非常にわかりやすい説教をした後、グラハム師は「今日イエスキリストをあなたの救い主として受け入れたい人は、このグラウンドまで降りてきて下さい」という招きをした。 私は、イエスキリストを信じて救われたい、という気持ちが半分。当時日本で一番最初に人工芝を導入したばかりの後楽園球場のグラウンドに降りて、貴重な人工芝に手を触れて見たい、という気持ちが半分。嘘みたいだが、当時は学校で、人工芝に触ったぞ、と言えば立派な自慢話になったのだ。 その日、人工芝の上で、イエスキリストを私の救い主として信じ、受け入れた。カードに名前と住所を記入し、新約聖書をもらい、帰りにはしっかり人工芝に触って感触を確かめた。
- 謎の軍服集団? - 後楽園球場でクリスチャンになった? クリスチャンになったという自覚はあったが、ラジニーシへの魅力も捨てがたかった。その後しばらくは、新約聖書を読み、めるくまーる社 (14) の本を読み、ある瞬間はイエスキリストを信じ、次の瞬間はラジニーシを信じる、という状態が交互に入れ替わるようにやって来た。 やがて、運営委員会の事務局から、私の家に一番近所のキリスト教会が紹介されてきた。それが救世軍杉並小隊 (15) だった。自転車に乗って30分ほどの所にある救世軍に一歩足を踏み入れると、まるで警察の制服のようなお揃いの軍服を着た集団が会館内を占めているではないか。おっかなくて、非常に緊張して、私の考えていたキリスト教会のイメージとは全然違っていた。 しかも、日曜礼拝は朝10時半からだ。普通の家庭なら、その時間はまだ布団の中でごろごろしてる時間帯だ。礼拝開始の10時半に間に合うよう家を出るには、まだ寝ている家人を後に、ごそごそ起き出さなければならない。次の週、早くも私は早起きに挫折し、救世軍に行くのはそれっきりになった。
- 謎の東大生集団? - そこで、今度はもっと近所の日本キリスト教団高円寺東教会 (16)に出かけてみた。ここは、牧師が逝去してから閉鎖されており、教会跡地近くの信徒宅で月一回程度のペースで日曜の午後テープ集会が行われていた。テープ集会というのは、故人となった牧師先生の残した説教テープをみんなで囲んで聞く、という集いである。 集まっていた人たちは六十歳代から九十歳代までの非常に品の良いおじいちゃま、おばあちゃまがただった。説教テープを聞いた後、お茶を飲みながら出された炒り豆をかじった。驚くこと無かれ。話をうかがっているうちに判明したのは、なんとここにいる人が、九十歳近くのおばあちゃまを含めて、全員東京大学卒業者だったのだ!!!
- ふたたび救世軍へ - 別に東大コンプレックスがあったわけではないのだが、中学三年生にとっては、東大卒業生ばかりに囲まれての説教聴聞は、ものすごいプレッシャーだったのだ。それっきり、足が遠のいてしまった。 1981年1月に、ふたたび救世軍杉並小隊に通い始めた。まだオカルトへの魅力を感じてはいたが、新約聖書を読んだり、キリスト教ラジオ放送FEBC (17) を聞いたり、遠藤周作氏のエッセイ「狐狸庵シリーズ」(なぜか『沈黙』や『おばかさん』ではなく)を読んだりしているうちに、イエスキリストへの魅力の方が抗い難いほどに強くなって行ったのだ。
- 暗黒邪悪パワー - そんなある日のこと、いつものように夜9時半過ぎからのキリスト教ラジオ放送FEBC(周波数1566kHz)に耳を傾けていた最中のことである。ラジオから流れてくる賛美歌や説教やDJに対して、突然すさまじいばかりの敵意と憎悪と冒涜の言葉が、聞こえてきたのだ。もちろん、私自身の心の声として聞こえて来たわけだが、自分でもゾッとするほどに邪悪な言葉であった。直観的に、今自分のそばに邪悪な存在(目に見えない何者か)が居て、憎悪を放射しているのを感じ取った。 それ以来、オカルトの世界の中でシンボリックに神と対置する概念として捉えられていた「悪魔」の存在が、私にとって急に現実のものとなってきたのだ。オカルトの世界の中でいつも強調されていたことは、神と悪魔とは現象界では対抗する二つの極なのだが、ほんとうは神と悪魔とは同一なのであって、同じコインの裏表にすぎない (18) ・・・だから、神と悪魔の融合一致こそ我々が究極的に指向すべきところなのだ・・・という主張だった。 ところがである。自分自身身近に邪悪な暗黒の存在を感じ取ってしまうと、これはもう絶対に神とは違う、こんな邪悪なものが神と融合一致できるはずがない、ということを肌身に感じて分かってしまったのだ。 そしてむしろ、新約聖書の中でイエスキリストが悪霊を追い出し、ヨハネの黙示録においては再臨のキリストが悪魔を滅ぼしてしまう、というストーリーの方が、よっぽど納得が行くと思ったのだ。なんにせよ、暗黒邪悪パワーは感じるだけでもゾッとするものであり、こんなものとは早くこちらの方から縁を切ってしまいたかった。
- 救世軍兵士となる - 毎週救世軍杉並小隊の日曜礼拝に通う中で、
オカルトの世界の中でいろいろ本を読んだり瞑想をしたりしてみたが、結局頭で秘義的なことをあれこれ考えても、何一つ先に進むことが出来ない、ということを感じていた私には、救世軍の教え・・・「単純にイエスキリストを信じましょう。そうすると、あなたは聖霊を受けます」というシンプルさがストレートに心に響いて来たのだ。オカルトというのは、意味は「秘義」だから、タマネギみたいなもので、皮を一枚めくると、また皮があり、また一枚めくるとまた皮があって、そうやって皮をどんどん剥いで行って、最終的には中身がなんだったのかよくわからない、という感じがしていたのだ。 ところが、救世軍では複雑なことも秘義的なことも、荘重さも、もったいぶったところも、神秘の深みも何も無くて、「さあ、ひざまずいてイエス様を信じましょう。そうしたら、あなたも聖霊を受けます」・・・浅いと言えば浅いのだが、本当にただそれだけなのだ。 私は単純になって、やってみた。イエスキリストを自分の救い主として、単純に信じた。そうして、聖霊を求めた。すると・・・不思議なことに・・・聖霊に満たされるというすばらしい体験をすることができたのだ!
- オカルトを捨てる - オカルトとは縁を切った。ある日、ラジニーシの本も、ガネーシャの像も、シヴァやクリシュナやシャクティのポスター (19) も、アロマセラピーの香焚きセットも、タロットカードも、瞑想テープも、全部捨てて、悔い改めの祈りをした。イエスキリストを信じて聖霊に満たされる、という体験をしてからというもの、オカルトというドアをバタンと閉めてしまわない限りは、暗黒邪悪パワーとは縁を切れない、ということが直観的にわかってしまったのだ。 イエスキリストを信じて救われている・・・昨日も救われ、今日も救われ、明日も救われ、永遠に救われている・・・この私の喜びはいつも変わることがない。もちろん、憂鬱になり、落ち込み、罪悪感に責めさいなまれ、怒りに心を震わせるときがある。しかし、私の心のいちばん芯のところに、神の聖霊が住んでいてくださって、そこから静かな喜びが浸み出て来るのだ。これは、神学を学んで論理的な結果として起こることではなくて、人知を超えたこと・・・救世軍流に言えば、単純に信じればこそ体験できたことなのだ。 その後は、高校、大学時代と、救世軍の兵士(教会員)として活動した。日曜の礼拝に参加するほかに、聖書の学びや、合唱、ドラマ、ミュージカル (20)、路傍伝道、伝道旅行、施設慰問、社会鍋、街頭給食、トラクト配布、募金、飲み屋街での伝道新聞の販売 (21)、などなど。そのような活動を通して、自分の体験した喜びを、他の人に伝えることの楽しさを味わって行った。
- 第二のジャーニー - 士官学校 (22) で二年間学んだ後、救世軍士官 (23) となった。 救世軍桐生小隊在任中に、アメリカ・フラー神学校世界宣教学部教授ピーター・ワグナー博士 (24) の『聖霊の第三の波』という本を読んでから、私の新たなスピリチュアル・ジャーニーが始まった。 キリスト教のカリスマ刷新運動 (25) について研究し始め、中でも米国聖公会司祭デニス・ベネット師 (26) の『朝の九時』と『聖霊とあなた』、元米陸軍空挺部隊従軍牧師マーリン・キャロザース師の『讃美の力』、元インドネシア信徒伝道者メルキオ・タリ氏の『イエスのそよ風』は、私の霊的生活に新しい次元の喜びをもたらしてくれた。私は「異言」で祈り始めたのだ。
- グロッソラリア - 異言というのは、新約聖書の時代に、聖霊に満たされたイエスの弟子たちが、自分自身でも理解できない他国の言語を、聖霊が語らせるままに話し出した、という現象である。英語でこの異言のことをtongueまたはglossolaliaという。 人はだれでも、心の底からイエスキリストを救い主として信じさえするなら、聖霊を受けることが出来る。ところが、自分が聖霊を受けた、ということを、どうやって確認すれば良いのだろうか。ある人の場合は、聖霊を受けた結果、喜びに満たされる。ある人の場合は、聖霊を受けた結果、アルコールや麻薬やタバコを求めない体質に変えられる。ある人の場合は、聖霊を受けた結果、憂鬱から解放される。しかし、聖霊を受けても、何も感じないし、何も変化が見られない、という人たちもいることにはいるのだ。 自分は確かにイエスキリストを信じているのだが、それでも、自分が聖霊を受けたかどうか自信が持てない、確認したくても確認のしようがない・・・そういう種類の悩みが出て来る。 ところが、ひとつだけ確認する手だてがあるのだ。それは、自分の口を聖霊にゆだねて、異言を語ることだ。難しく考える必要はない。新約聖書に書いてある通り、私の中に宿っている聖霊が、私の口を通して、私の知らない言語を語ってくれる、だから、信じてやってみよう・・・それでいいのだ。口をあける。しゃべりだす。すると、自分の理解できない言葉が出て来る。しばらくそれを続けて見る。やめたくなったら、しゃべるのをやめる。またやってみたくなったら、やってみたらよい。
- 慰めの賜物 - クリスチャンや牧師や神父であっても、時には怒りや憂鬱や悲しみや絶望に捉えられてしまうことがある。そういうとき、イエスキリストは何処に行ったのか? 聖霊は何処に行ったのか? 神は何処に行ったのか? という疑念にさいなまれることがある。そういうときにこそ、異言を語ってみるのだ。 私の中に宿っている聖霊に、私自身をゆだねてみる。単純に信じて、口を開く。しゃべりはじめる。すると、もう異言を語り始めている。憂鬱や怒りや悲しみや絶望は、異言を語るにつれだんだん太陽に溶かされる雪のように溶けて流れて行ってしまう。5分間やって見るだけでも、全然違った気分になっていることに気付くはずだ。 異言というのは、これは慰めのために神が私たちに与えられた賜物だと思う。私たちは、いつでも神の臨在をそば近くに感じ取れるわけではない。時には、自分の手の中から神がするりと抜け出て行ってしまうような感覚を持つこともあるのだ。そういうときに、本当に信仰の篤い人なら、神に見捨てられたような感覚のただなかにあって、なお静かにじっと神に絶対の信頼を置きつづけるだろう。 でも、そんなに私は信仰が篤くはないから、もっと直接的な神の慰めが必要なのだ。そして、異言を語るときには、自分の中に宿っている聖霊の存在を、確認することが出来る。聖霊を通して、神と自分が一つに結ばれていることを、身をもって確認することが出来るのだ。 私のスピリチュアル・ジャーニー(27)はいまのところここまで。この先、たぶんトロント・ブレッシングからいろんな影響を受けて行くのではないかと感じている。また新しい発見があったら、このHPを通じてお知らせして行きたいと思います。 |
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